私は2008年、大学4年の春、就職活動を棒に振ってカナダに留学した。
その時は私は将来どうなりたいのか悩んでいた。
英語を専攻していたけれど
英語が大好きとはいえなかった、
でも得意ではあったのだ。
自分の好きなことは芸術だから食べて生きていけないのは
わかっていたけれど他のことを仕事にするのにやる気が全く湧かなかった。
あわよくば海外でアートの仕事が見つからないか
と甘いことを考えていた。
あるとき父親が組んでいたパリでのさらなる語学留学の計画を無視し
自分の英語力を試す意味で1人で本物のゴスペルとジャズを見るためにNYに旅に出た。
毎日1人でマンハッタンを歩き回った。
朝ごはんはGRAY’S PAPAYA の90cent(当時)のホットドッグ、路上での50centのコーヒー。
これがとてつもなく美味しかった。
本来パリに使う旅費をNYでの滞在に回したのと、滞在期間も決めていなかったので極限まで節約していた。
自分の夢に使うために。
ハーレムの教会で習った曲の音とりをしながら
いろんなところを歩きまわった。
NYには私のやりたいことが沢山転がっていた。
本当に何か奇跡が起きるんじゃないかっていうくらい
人との出会いに恵まれていた。
道を歩けばプロのミュージシャンに出会えて
ライブハウスで会話をすることもあった。
地下鉄でコメディアンが自分のStand Upコメディに招待してくれて
観に行ったけれどアメリカのジョークがわからなくて会場で孤立したこともあった。結局そのコメディアンにお酒を振る舞われたけど飲まなかったので帰る間中しつこく付き纏われ、ゲイのカップルや電車の中の人に助けてもらったこともあった。本当に感謝している。
Jazzボーカリストの東かおるさんと繋がれたのもNYでのライブハウスでの出会いだった。(帰国後これがきっかけでJazzの理論を勉強するようになる)
そんなある日一つのコスメショップに出会った。
商品は黒糖や米など和のものを原材料に使い、
パッケージデザインもシンプルで着物柄を使用してい上品だった。
私は店員さんにこのお店のオーナーは日本人ですか?
と尋ねた。
すると「違うわ。そこのデザイン学校を卒業した人よ。」
と答えが返ってきた。
海外で活躍する日本人はどんなに素敵な人だろう!
私は期待しすぎていたため
その回答にショックを受けた。
日本人ではない人が日本らしさを売りにビジネスをしている…。
この現状を見て私は何か許せない気持ちになったのを覚えている。
日本人があんまり海外に出ないから誰もこの状況に気づいていなかったのだ。
日本人はもっと主張してもいい。
そう思った。
今でこそJapanブームだけれど
本当に日本を理解して愛してくれる人はいるのだろうか。
そんな日本が心配だから
私も自分で発信していきたいと思う。
英語をツールにして。
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