私の生い立ちについて少しふれようと思います。
私は一人っ子で岡山の田舎に住んでいました。
両親は個人塾を経営していて、当時は年収1000万にもなるほど順調でした。
祖母の家に預けられる事が多く
絵を描いて過ごすことが多かったです。
私はこの父親に英語を叩き込まれて育ちました。
父親は田舎の教育に危機感を持っていて、
私は常にオール5に近い成績を求められ県内トップに入る公立高校に
入学しました。
浪人して東京の有名私立を目指すも
本当は美術がやりたかった私は自分の進路を自分で選べないまま
そこそこの大学の英文科に入りました。
大学在学中に父親のすすめでカナダに留学に行きますが、
その間、父親の祖父の会社が火の車で
損失を出し続け
祖母が祖父の為にため続けた1500万の貯金も使い果たして
両親も自分や親せきの貯金を食いつぶしながら
会社を営業し続けていました。
そんな中祖父も体が弱り、
母親が祖父の介護をしながら、代わりに会社をたたむ準備を並行して行っていました。
父親は自分の父親なのにこういう事には非協力的で
母親が限界を迎えていました。
私は留学から帰ってきて実家の異常な空気を察知して
大学には戻らず地元でアルバイトをしていました。
その時に投資を学びFXを始めました。
しかしアルバイトでは頑張っても14万が最高金額であることに気づき
貯蓄のスピードを速めるには
会社で英語というスキルを使って安定した収入を得ないといけないと悟ります。
そこから静かに自分の経済力を上げるために大学卒業を目指し
TOEICの勉強を始めるのですが、
自分の本来やりたかったクリエイティブなことから
遠ざかっていく事を無視できず悶々と過ごしました。
大学を卒業するも、就職はうまくいかず
転々としながら貿易の仕事を得ましたが
どうも事務職として求められることが全然できないので
体調不良になりストレスを抱えながらも9年ほど続けました。
上司が「古い人(私のこと)と仕事の話はするなよ」と
後輩に指導していたので、それをきっかけに退職しました。
その後思い切ってチョークアートを始めたり
WEBデザインを始めたり…
そういうわけで、絵本のアトリエを立ち上げました。
続きは次のブログへ。
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